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沃川は、かつてから先進の文物が入ってきた所で、本来の計画通りならば鉄道の経由地でありましたが、住民たちの絶対的な反対により沃川駅は現在の位置に設置され、商圏もまた沃川駅の近くに移されました。その後商圏は衰え、その栄華の跡だけが旧邑に残っています。
 
韓国の住居の形態と宗教、そして商店街の施設は、旧韓末、日本統治時代、解放期、韓国戦争期、 経済復興期などを経て現在に至るまで、時期ごとに急変しました。沃川の旧邑は、その変遷史を見て感じられる所です。鄭芝溶の生家を踏査してから旧邑を見物がてらに回って見ると、「鉄道の設置反対事件の徳」で古い建築物があちこちに残っており、鄭芝溶の生家と共に旧韓末から近代までの住居の変遷の様子がわずかではありますが見ることができます。
 

 
日本統治時代の初期の沃川の市場通りであると言える現在の旧邑十字路に行へば、1910年頃の日本式の商店街の建築物があります。方向を変えて「旧邑郵便取り扱い所」から「教会堂」に行く路地の入口に着くと、稲をつくために集まった牛車で込み合った当時の沃川の最大の精米所があります。
 
精米所を過ぎて路地に入ると「アメリカ式の教会の建築物」があります。アメリカの宣教師たちが韓国にキリスト教を伝播し、宣教事業と共に教育や医療事業などの活動を行って開化期の韓国に多くの影響を与えた。
 
 
天主教がそうであったように、キリスト教も宗教と共に独特な建築物を持ち込み、当時の韓国人はそれを「教会堂」と呼びました。しかし建築学者たちは、それを「アメリカ式の教会の建築」と呼び、カトリック聖堂のゴシック様式と区分しています。
 

 
また旧邑は、沃川郷校と沃州司馬所と言う韓国の伝統建築物が現存しています。 沃川郷校は、立派な儒学者を祭り、地方民の儒学の教育と教化のために国で建てた教育機関です。朝鮮時代の太祖7年(1398年)に最初に建てられ、文禄の役(1592年)の際に焼失しましたが再び建てられました。そして1961年に荒廃した郷校を復元して、1966年と1974年に補修をして今日に至っています。
 
 

沃州司馬所は、朝鮮時代に地方村の生員(朝鮮時代に生員科の科挙に合格した者)と進士(朝鮮時代に進士試に合格した者)たちが集まって儒学を教えたり政治を論じた所で、沃州地方に属する司馬所です。この建物は、朝鮮時代の孝宗5年(1654年)に建てられたもので、本来は生活の苦しい百姓たちのために穀物を貯蔵して置くために国家が設置した倉庫の建物でしたが修理して司馬所として使用しました。司馬所とは、朝鮮時代の中期の地方の生員や進士たちの協議機構で、司馬試に合格した者が50人以上いる所に設置されるもので、彼らは親睦を図り、政治討論及び教育活動などでその村の発展に貢献しました。

 
 
この2つの建築物は、韓国の伝統建築の美と建築様式がよく表れており、韓国の建築文化の一面を鑑賞するのには十分です。